「魔王が引っ越してきた」第一話
今日、隣に魔王が引っ越してくるらしい。
ここは首都下町の安いボロアパート三階。ちょっと騒ぐと階下から罵声が飛んでくるし、隣家の物音は筒抜けだ。つい最近まで四軒隣の吟遊詩人見習――見習だよなあ……?――の楽器の音が一日中五月蝿かった。大家に訴えたら断末魔の悲鳴の後は何も聞こえなくなったが。そういう僕も割とやかましい方なので、そのうち吟遊詩人の後を追うかもしれない。名も知らぬ詩人よ、地獄で会おう。
と、微妙に脱線したが、壁が薄いのみならず、壁や天井に穴もあいていたりする。大家は『ネズミ捕りの魔物を壁の隙間に放っているのだ、これはその魔物を送り込むための穴だ。ここは高級マンションだからケアも万全なのだ』と主張していた。まあ、確かにネズミもゴのつくアレも出ていないので真実かもしれない。でも、そんな魔物見たことないし、ネズミもゴのつくアレもいないのは、僕が毎日その穴に捨ててる実験薬の効果でなはいのだろうかと思ったりもする。大体、そんな魔物がもし本当にいたとしても、僕の薬で死んでるかもしれない。すまない大家。ちなみに人体には悪影響はないはずだ。少なくとも僕はまだ死んでない。
そんなろくでもないアパートに暮らす僕の隣家の表札、それは『魔王』である。
昨日までその部屋は空き部屋で、そんなものはかかってなかった。今日朝帰ってたらかかってた。
それにしても、魔王にしてはアレな所を根城に決めたもんだ……。
魔王ってのは、隣の大国を乗っ取った奴とか、不治の病と言われていた病気の治療薬を開発した奴とかそういうやつのことだ。魔王ってのはでかいことをしでかした――しでかしたことの善悪はあまり関係ない――魔族につく称号みたいなもんなんで、世界にはゴロゴロ魔王がいるわけだが、そのうちの一人が引っ越してきたわけである。
ちなみに人間が同じようなことをしたら魔王じゃなくて賢者とか呼ばれる。魔族が王で人が賢者なのは何でだ。人王でもいいじゃんか。あるいは賢人賢魔でも。と思うが、言葉尻捕らえて悩むのもあほらしいほどどうでもいいことである。どちらかの言葉が悪いわけでもない。そもそも深い意味は無さそうに思えた。
この疑問を後に教授にぶつけると、『ああ、なんだかんだ言って人は身体能力が魔族より劣るから、王というより賢者といった称号がしっくりくる功績が多かったんだ』なんて返事が返ってきた。時が経つうちに功績の内容問わずそう呼ぶのが慣習となったらしい。
まあ、魔法が優れてて体もがんじょーな魔族のほうが、『王』みたいなタイプの功績は立てやすいんだろうなあ。大体の魔王は国乗っ取りとか、魔物征伐とか覇によって称号を得てるわけだし。
そんなわけで、魔王というのは大抵金持ちなので、こんなヤバメのアパートに暮らす魔王なんて非常に珍しいのではなかろうか。
ちなみに僕は人である。魔族にはありえない無駄に派手な金髪がその証拠だ。僕は人です!! と看板下げて歩いているようなそんな色だ。この国では人より魔族のほうが多いので、激しく目立つ。悪目立ちという奴だ。魔族のほうは茶と黒と赤に加え、ピンクとか変わった色も多いカラフルな種族だ。金髪がいないのは永遠の謎で、友達も研究していたがさじを投げた。解き明かせば友人も賢者の称号をもらえたのかもしれない。ちなみに、黄色い髪はいる。いないのは金髪だ。
それにしても、魔王か……。やっぱ特に有名な何人かの魔王達のように体格がごつかったりするのだろうか。本に載ってた姿を思い出してみる。
僕は魔王は見たことがないが、賢者は幾度か見たことがあったりする。この国では人の数は少ないのに、割と賢者はゴロゴロいる。というより、何処の国でも少数派に多く現れているような気がするのだ、魔王とか賢者とか優れた功績者は。南方の聖都は人の国だが魔王がゴロゴロいるともいうしなあ。ちょうどこの国と正反対な感じなのだろうか。
魔王という言葉がきっかけで、考え事が深まっていく……。
結局眠れないので、僕はいつもの実験の続きをすることにした。
最近夜は別の仕事をしてるので、実験が滞りがちになってたのでちょうどいいかもしれない。